あの日の息子

「牡蠣だ〜!」


旅行2日目、小雪がちらつくシャンゼリゼ通りのクリスマス市で、生牡蠣とシャンパーニュを前にしてテンションがあがった母の顔が、息子にはよほど印象的だったのだろう。びっくりして私をまじまじと見つめた息子のまんまるになった目を忘れることはない。

 

「今日もクリスマス市の、あのおじさんのところへ行こう!」

 

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翌日から滞在の間ずっと息子は言い続けた。あのおじさん、とは牡蠣の屋台の男性。たぶん年齢は私と同年代くらい、ウルフカットの渋い男性だった。黙って牡蠣をあけ、お皿にもって渡すときに小さく笑みを見せるという、人柄の良さがひと目でわかる感じがした。

 

「父ちゃんもかっこいいけど…うーん、あのおじさんのほうがカッコいいかも!」

 

息子は笑いながらそう言って、毎日行きたがった。私が喜ぶから、私が嬉しそうにした場所だから、ここにいる間は毎日ここに行くんだ、まるでそう決めているみたいだった。

 

私は「過干渉にならないように」というポイントにおいて必要以上に神経質だという自覚がある。
でも、それでも、親にとって子供はいつまでも子供、というのはある意味しかたないのかもしれないと、この旅行を通して思うようになった。

 

たった10日かそこらの日程だったけれど、この旅行で息子とすごした時間が、私のなかでの「息子」として永遠に生きていると思うからだ。

 

あの小雪の中、びっくりして私をまじまじと見つめた息子のまんまるの目、毎日毎日「あのおじさんのところに行こうよ!」と言った声、パリの寒さを侮っていた私に「かあちゃん…かゆい…」と息子がつぶやいて慌ててGAPにかけこんだこと、GAPで「これより大きいサイズは、子供用ではないわよ」とスタッフのお姉さんに苦笑されたこと、ピカソ美術館にあった彫刻が長女にすごく似ていて「そっくりじゃん!」とふたりで笑ったこと、そのピカソ美術館でトイレの場所を聞いていたときに私の手が息子の顔を直撃してしまい、スタッフの女性たちが笑ってくれた笑顔がなんだかすごく良かったこと、夜のエッフェル塔にのぼるために並んでいたとき、前にいたフランス人の男の子が何度も息子にぶつかってくるので「触らないで」と伝えたらその子の弟が両親に「あのシノワがおにいちゃんになんか言った!」と言って結果ぴたりとおさまって自慢げな目をしていたこと、帰国する日に食べたフォアグラのテリーヌを息子もすごく気に入ったこと、サンルイ島で買ったショコラを大事そうに食べていたこと、焼き栗を頬張った顔、ルーブルもオルセーも案の定反応が薄かったこと、何かにつけてすぐに「そう言ってよ」と通訳ばかりさせようとしたこと、Nutellaのベニエが大好物になったこと…

 

延々説教しながらノートルダムの近くを歩きもしたし、夜にRER線に乗るのはちょっとなぁと思っていたものの息子の熱意に押されて行ったエッフェル塔は楽しかったし、シャンゼリゼにあったトイレが「2€!なのに床が汚かったよ!」と憤慨していた息子は頼もしく面白かったし、ほとんど散歩していただけの旅行だったけれど本当に行って良かった。危ないからちゃんとしなきゃとかもうちょっときれいに食べようとか怒ることも多かったのが、また良かったと思う。

 

そういうこの旅行のぜんぶが、私にとって「息子」という情報として残る。

 

情報は、思い出としてもずっと在る。
いつか息子が誰かをパートナーや大事な人として連れてきたら、私はきっとこの旅のことも思い出しながら息子を語るのだと思う。その時がいつであれ、私のなかでこの情報は色褪せず変わらないのだろうなと思う。むしろ、年齢を重ねるごとにノスタルジックに「息子」色が強くなっていくような気さえする。

 

一緒に過ごした時間が家族であり、親子だ。そのことを年をとるごとに感じるようになってきた。いろいろな意味で覚悟が必要だけれど、それもまた家族の醍醐味なのだろう。